あれからちょうど20年
ちょうど20年前の今日
私は専門学校の卒業の為の卒業作品を
仕上げる為に徹夜でコピックを走らせていた時
阪神淡路大震災がありました。
テレビをつけっ放しで描いていたので
朝の報道のアナウンサーの人がうわっと言いながら
揺れていたのが印象でした。
その瞬間、和歌山でも大きな地震の揺れがあり
外の鉄の格子がガチンガチンと鳴ってました。
次の瞬間テレビに写っていた映像は
とても平和な日本とは思えないような
光景が写っていたのを覚えています。
後日、大阪の学校に行くと何人か神戸の友達が
来ていないと聞かされました。
命に別状はなかったらしいのですが
家の扉が開かずに外に出れなかったらしいです。
私の友達はみんな無事でしたが
友達の先輩の奥さんが亡くなったという人もいました。
今、テレビの報道では20年前の惨劇を
風化させてはいけないと言っていました。
これから起こるかもしれない南海トラフに備えて
阪神淡路大震災での教訓を肝に銘じなくてはいけませんね。
ちょうど20年前にデザインの専門学校に通っていた私の
忘れられない出来事だったので
今日はイラスト抜きで追悼の意を込めて書かせて頂きました。
私は専門学校の卒業の為の卒業作品を
仕上げる為に徹夜でコピックを走らせていた時
阪神淡路大震災がありました。
テレビをつけっ放しで描いていたので
朝の報道のアナウンサーの人がうわっと言いながら
揺れていたのが印象でした。
その瞬間、和歌山でも大きな地震の揺れがあり
外の鉄の格子がガチンガチンと鳴ってました。
次の瞬間テレビに写っていた映像は
とても平和な日本とは思えないような
光景が写っていたのを覚えています。
後日、大阪の学校に行くと何人か神戸の友達が
来ていないと聞かされました。
命に別状はなかったらしいのですが
家の扉が開かずに外に出れなかったらしいです。
私の友達はみんな無事でしたが
友達の先輩の奥さんが亡くなったという人もいました。
今、テレビの報道では20年前の惨劇を
風化させてはいけないと言っていました。
これから起こるかもしれない南海トラフに備えて
阪神淡路大震災での教訓を肝に銘じなくてはいけませんね。
ちょうど20年前にデザインの専門学校に通っていた私の
忘れられない出来事だったので
今日はイラスト抜きで追悼の意を込めて書かせて頂きました。
このエントリーのカテゴリ : 日記